斎 号 渓 斎
生没年 寛政3年(1791)から嘉永元年(1848) 58歳
作画期 文化未頃(1821-18)から弘化末頃(1844-48)
本 名 池田義信
出 生 江戸星ケ岡(現在千代田区永田町山王あたり)に武士の子供として生まれる。
経 歴 幼い頃狩野白珪斎に入門して画技を学ぶ。文化7年(1810)の頃、菊川英二と知り合い10年間身を寄せる。16から17歳の頃、水野壱岐守の江戸屋敷に武士として仕官するが、人の諺りにより職を追われる。
文化9年(1812)、市村座の篠田金治(後の並木五瓶)に入門、千代田才一を名乗り狂作者の道を進むが、22歳にしてこれをやめ、近国を放浪。
葛飾北斎に私淑してその筆法を独学し、菊川英二・英山に師事し、美人画の作家として活躍し風景画にも高い評価を得るようになった。
天保6年(1835)、保永堂より「木曽街道六十九次」の連作を出版。71図のうち24枚描き、残りを安藤(歌川)広重が描く。天保の改革以後は「一筆奄可候」という筆名を使い、文筆業を中心に活躍。嘉永元年(1848)年7月22日、58歳で没した。
画 風 六頭身で屈折した情念の込められた眼差しをもつ女性を表現すると右に出るものいないといわれたほど、女性の表現がうまかったとされる。
幕末の美意識であった「粋とあだ」を美人画に図像化したものが英泉の作風といれ、妖艶な女性表現には見るべきものがある。